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村君のいわれ

豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は、第10代崇神天皇の第1皇子であり、東国(関東)を治めるため大和からこの地へ派遣された。この皇子の孫が彦狭島命(ひこさしまのみこと)で上毛野君祖といわれ、崇神天皇より当地の国造に任ぜられた。しかし、赴任の旅の途中で病に倒れ亡くなってしまう。その子の御諸別王(みもろわけおう)が父の遺志を継ぎえみしを平定したという。この王の娘或るいはその夫が村君太夫と言われていたらしい。いずれにしても、高貴な人物がこの地に当時住んでいた事は確かなようだ。

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村君地区、三田ヶ谷地区を知ろう!!

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