3.11 東日本大震災

3.11から3年がたちますが関東はともかく東北とくに福島は、復興には程遠いところにいます。私にとっても、3.11は未曾有の出来事で一生かかっても出来ない体験をしました。当時、私は翌日の新築の引渡しの書類整理、写真整理を行っていました。あの地震の後長く続いた余震がひと段落した午後4時頃、翌日引渡しの現場に車で向いました。家では停電でしたので車のラジオで、初めて日本が大変なことになっているのを知りました。ただ頭の中は現場がどうなっているのかの一点に絞られていました。幸い現場は何事もなかったのですが普段片道30分の現場が、その日は往復で3時間かかりました。道路の信号が停電でことごとく止まっていたので、どの道路も渋滞でノロノロ運転で走るしかありませんでした。帰り着いてから食料調達にお店に行っても何もありませんでした。夜10時停電が復旧すると電話が鳴り続きましたお客さんからの電話で、ほとんどが屋根が崩れたとの内容でした。翌日も朝5時から電話が鳴り続きお客様リストを作り地震保険の有無を確認しました。リストは30件以上にのぼり翌日から回ろうにもガソリンスタンドが店を閉め屋根を覆うシート、土嚢袋、瓦、あらゆるものが不足しお客からは、いつ仕事に入れるかの電話が鳴り続きました。物がないという時代を経験していない私には、自分の未熟さを思い知らされる日々でした。羽生市内の瓦の被害が1050件を数え年内は無理かと思われましたが、何とか年末までには、ほぼ復旧したようです。今回の雪害でも物不足は同じで、同じように振りまさられて日々を過ごしています。

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