建築家のジレンマ

私は父が大工だったので子供のころから家と現場と作業場は一体化していたので自然と進路も工業高校、工業大学建築家、現場監督と当たり前のコースをたどりました。学校でも建築現場でも図面と技術の習得が中心でそこに人という接点はありませんでした。30歳で家業を継いでからも10年くらいは電話が鳴ってお客様に対応するという繰り返しでした。10年くらい前から電話のなりが減り当然仕事も減る中で私が選択したのが「高気密、高断熱で次世代対応」今まで漠然と技術と経験でやっていたことをシステムとして体系ずけ打ち出そうと思ったときに従来の待ちではなくアピールする言葉にすれば簡単ですがなかなか営業というのは、畑違いの者にとっては難しいものです。

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