会社の事

昨日は新築の棟上げでした。
土地いっぱいに建物が建つため、いつもの流れではなく
工夫が必要でした。いつもなら棟上げで使う木材を
一括で現場に入れますが、場所がないので土台材を1回目に入れ
土台を敷いて、外足場を組み、2回目の木材を搬入しながら組み込み
足場の部分に材木置き場を設置、組みながら足場も組み替えていくという
大工さんと足場屋さんが連携をしながらの作業となりました。二日間にわたる
棟上げ終了後、3回目の木材は荷揚げ屋さんという材木をトラックから
材料に合わせて1階、2階、屋上と分類しながら配置して作業終了となりました。

加須にある社会福祉法人愛の泉で縁あって40年施設の修繕を
やっています。児童施設、幼児園、乳児園、老人施設、各所共
修繕に入るとき要求が違います。既製品が使えづ特注になることも
しばしばあります。当社にとってはここでの仕事は貴重な経験を
積ましてもらう場だと思っています。そんな中、昨年から後援会にも
入り今年は理事にも任命されました。ありがたいことです。

今回の北海道地震で被災を受けた住宅でも張られていた「危険」の赤色張り紙。

有資格者による被災建築物応急危険度判定士という制度があります。
一級建築士などが研修を受けて資格を取ります。
中越地震や神戸地震では被災建築物応急危険度判定士が数百人招集を受け
被災地で二人一組になり住宅に危険、注意、安全の張り紙を張っていきます。
危険と張られると家に近づくことはできません。倒壊の危険がありますから
震災では数百数千という家が被災を受けますから時間が勝負なのです。

埼玉建設組合羽生支部には200名の会員がいます。
メインは組合員の互助会ですが、商工まつりでは
包丁研ぎやまな板削りを行い毎回100名を超える
人が包丁、まな板を持って集まり延べ300ケの作業を
半日の中で行いますので羽生の職人が総動員されます。
これからも皆さんとの絆を深める活動をしていきたいと思います。

我が家の次女は小さい頃より建設現場についてくるのが好きだった。
足場があると登って行って喜んでいた。
そんな娘も大学四年生、私のころは建築科というと設計事務所か
ゼネコンの現場監督と決まっていたが、娘曰く両方ともムリとのこと。
まだ女性には現場はハードルが高いかもしれない。
今はせっせとキッチンメーカーをあたっているらしい。
がんばれ三代目!

人間の生活において一番大切な健康と住まいについて癌細胞の研究で
活躍されている石川先生と建築界で著書も多く書かれているパワフルな
松岡先生のお話を贅沢にセットでお届けいたします。
日 時:5月20日(日)午後1時30分開演
会 場:市民プラザ 205研修室

講 師:石川智久 理学博士
大阪医科大学客員教授
NPO法人地方再興・個別化医療支援理事長
テーマ:食生活による健康増進と疾患予防

講 師:松岡在丸 氏
住環境アドバイザー
一般社団法人22世紀日本の家協会理事長
テーマ:長持ちして地球環境にやさしい家づくり

たくさんのご参加お待ちしています。

いつも通り見積書や請求書を作成してプリントアップ
しようとしたら、いきなり黒だけが反逆を起こし
ヘッドクリーニングをかけようが無反応、メンテランスしかないのか
機械にかかっては会話が成り立たない。

春が来ました、3月前半までの寒さから一転、急に暖かくなり
桜も入学式を待たずに散り始めています。
当社でも春を迎えていくつかのイベントを企画しています。
4月7日8日は熊谷タカラスタンダード展示場で家事らく体験フェアーを
開催いたします、お料理の実演や記念品のプレゼントも用意していますので
ふるってご参加ください。
5月20日(日)午後1時30分市民プラザ205研修室で
健康と住まいのセミナーを講師の先生をお招きして講演を企画しています。
4月中旬には住宅情報誌も発行されます期待してください。

昨日、秩父の工場視察に行ってきました。
秩父にある(株)ウッディ-コイケは明治44年創業
山の植林事業から伐採、製材、乾燥、加工、プレカット出荷まで
自然の恵みを最大限に生かした高度利用を目指して最新の技術を
駆使した活気あふれた会社でした。
今回の訪問の目的は木材の大敵シロアリ駆除と木の腐れの対策です。
一般のシロアリ駆除の農薬では室内環境の問題や効き目が5年で消滅
してしまうこと、そこで目を付けたのがヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアでは
ポピュラーなホウ酸塩を木材に加圧注入する機械の見学です。
ホウ酸塩は哺乳類には無害で昆虫にだけ有害であること、木の腐食菌も抑え
効果が持続すること、マイホームを長生きさせるための特効薬なのです。

今、引越屋さんや配送業者の人手不足が問題になっていますが
建設業界でもここ数年、人手不足に悩まされています。
かつて職人の子は親が仕込んで職人になったものですが
いつのころからか親が将来がないから他の職種に行くように
職場放棄するようになりました。私が就職した40年前、大卒の
初任給が10万円でした。当時の都内での職人の日当は2万円でした。
20日働けば40万円になったわけです。職人は仕事はきついけど
給金の上ではサラリーマンより恵まれていたわけです。
今、仕事はきついし給金でも恵まれなければ人が集まりません。
自然の摂理かもしれません。何とかしなくてはと思う日々です。


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